2017年06月30日
前回の続きです。
艦首から艦尾に向かってしばらく甲板上を歩き、狭い階段を上ったところが、降伏文書の
調印場所でした。上の6枚の写真をそれぞれ以下に説明しておきます。
上段左・・・・・調印時の写真。机に座っているのがマッカーサー元帥。右の日本側の先
頭に立っているのが重光外相です。
上段右・・・・・調印場所に埋め込まれているレリーフ。「1945年9月2日、ここにおいて
日本国の連合国に対する正式な降伏文書が調印された。このことによっ
て第2次世界大戦が終結した。なおその時、この船は東京湾に停泊して
いた。」と刻まれています。
中段左・・・・・写真奥が階段。重光外相は片足が義足であったため、この幅の狭い階段
を登るのに難渋し、調印場所まで時間がかかった。マッカーサー元帥は
先に調印場所に姿を見せたものの、重光外相が到着していないと気づき
再び艦長の部屋に戻ったらしい。
中段右・・・・・調印時に掲げられていた米国旗。よく見ると星の数が31しかない。実は
この旗は、江戸末期にペリーが日本に来たときに黒船に掲げられていた
ものである。この旗を調印時にわざわざ掲げた意味については、推測の
域を出ない。
下段左・・・・・調印された降伏文書。敗戦国と戦勝国で差がつけられている。写真左が
日本のもので、カバーが布製。写真右側が戦勝国用で、カバーが革製で
ある。
日本の降伏文書については、世界中のさまざまな場所で見てきましたが、その調印された
場所で見ることは、改めて感慨深いものがありました。
福力