校長ブログ

2019年08月4日

1学期終業式

先月末、1学期終業式を放送にて行いました。少し遅くなりましたが、終業式にて
放送した話をアップしておきます。

 みなさん、こんにちは。
 明日から8月。8月になると、毎年、日本では先の戦争、太平洋戦争にまつわるドラマやドキュメント、あるいは映画が上映されます。それは74年前の8月に、太平洋戦争が終結したこと、そしてまた忘れてはならないいくつかの事が、この8月にあったからです。今日はその戦争にまつわる意外な話を2つしたいと思います。

 8月に起こったいくつかの事。皆さんは、知識としてどれだけその日にちを覚えているでしょうか。重要な日にちを3つ言います。6日、9日、そして15日。さて何があった日かわかりますか?

 そうですね。6日は広島に、9日は長崎にアメリカ軍によって原爆が投下された日です。9日未明にはソ連が日本に対して参戦もしています。そして15日、これは日本が無条件降伏を受け入れた日、つまり終戦記念日です。
 1945年、5月に入って第2次世界大戦で日本の同盟国だったドイツ、イタリアはすでに降伏し、約3カ月、日本はいわば世界中を敵に回して、勝つ見込みの全くない戦争を継続していました。あくまでも降伏することを拒む日本に、2つの原子爆弾が投下され、ソ連が参戦し、その約1週間後に戦争は終結したのです。
 それでは意外な事の1つ目です。今、8月15日を終戦の日としてお話しました。しかし正式に戦争が終わったのはこの15日ではありません。ではいつ、正式に戦争は終わったのでしょうか。皆さんはその日がいつか、知っていますか?
 戦争の終結は、降伏文書への調印をもって完結します。その調印は8月15日ではなく、9月2日でした。それゆえ、その間約2週間、まだ戦争はいくつかの地域で続いていたのです。それがどこだったのかは、また自分で調べてみてください。
 9月2日、東京湾にアメリカ海軍の戦艦、ミズーリが停泊し、その艦上でアメリカ、イギリス、フランスをはじめとする9カ国に対して、降伏文書への調印が行われました。
この戦艦ミズーリは全長が270メートル、全幅が最大33メートルという巨大な戦艦です。ちょっと想像してみてください。東京湾に巨大な戦艦が停泊し、その艦上で日本の代表が、降伏文書に調印させられるところを。平和な今からは想像のつかない光景ですね。ちなみにこの戦艦ミズーリは、今、戦艦としての役目を終え、ハワイのパールハーバーに保存されています。その甲板上には、1945年9月2日、東京湾に停泊するこの艦上で日本が降伏文書に調印し、第2次世界大戦が終わったと刻まれたレリーフがはめ込まれています。意外なことの一つ目、戦争が終わったのは8月15日ではなかった、でした。

 さて先の戦争では、多くの人が命を落としました。日本に限ってその戦没者の数を見ると、軍人が約230万人、民間人が約80万人、合わせて約310万人もの人が命を失っています。激戦と言われた日露戦争の戦死者が9万人だったことと比べても、いかに大規模な戦争だったかということがわかります。
 意外なことの二つ目。この230万人にも及ぶ軍人の戦死者のうち、少なく見積もっても40%にも及ぶ人が、戦闘行為ではない原因で命を失ったということです。ではその原因は何だったのでしょうか。

 実は戦死者の40%にも及ぶ兵士が、戦闘ではなく、「餓死」もしくは栄養失調にともなう「病死」によって命を失っているのです。戦争終結1年前の1944年以降に限ってみると、その割合は70%を超えています。このような大量の「餓死」者を出したのは、日本が制空権および制海権を失った結果、各地で日本軍の補給路が完全に寸断され、前線の兵士が深刻な食料不足に陥ったことが原因です。

 戦争をテーマにした映画などでは、しばしば戦闘行為が中心に描かれ、私たちは激しい戦闘によって多くの軍人が命を失ったという印象を抱きがちです。 それももちろん事実なのですが、少なくとも約半数近くの軍人が、餓死もしくは栄養失調による衰弱や病気への感染で、命を失っていることも、もうひとつの事実なのです。その様子は、前線の兵士が、銃を持ち上げることさえも困難なほど衰弱しているという報告書が残されているほどです。私自身ももちろん戦争を経験していないのですが、さまざまな書物を読むと、戦争というものは、私たちの想像を超えるほど悲惨なものだというのが現実だと知らされます。

 また今年も8月15日がめぐってきます。毎年、15日には正午のサイレンを機に、甲子園球場をはじめ日本の各地で黙祷が行われます。その時にでも、今日のこの話を思い出してください。そして平和な世の中が続くよう考え、願ってほしいと思います。
 それでは、これで1学期終業式にあたっての私の話を終わります。ありがとうございました。