校長ブログ

2017年03月13日

1984年②

余談続きですが、前回取り上げたオーウェルの『1984年』という作品には、村上春樹氏
も特別の思い入れがあるように見受けられます。
長編小説『1Q84』第1巻~第3巻。この作品は、タイトルそのものが、明らかにオーウ
ェルの作品へのオマージュに由来しています。また最新の作品『騎士団長殺し』でも、作
品のメインキャラクターの1人が、以下のようにオーウェルの『1984年』について言及す
る場面があります。

「そこは(※筆者注 英国のジュラ島)ジョージ・オーウェルが『1984』を執筆したこ
とでも有名なところです。オーウェルは文字どおり人里離れたこの島の北端で、小さな貸
家に一人で籠もってその本の執筆をしていたのですが、おかげで冬のあいだに身体を壊し
てしまいました。原始的な設備しかない家だったんです。彼はきっとそういうスパルタン
な環境を必要としていたのでしょう。・・・・・」(『騎士団長殺し』第2部 138P)

なぜ村上氏が作品のタイトルや文中でオーウェルに何度も言及するのかはわかりませんが、
彼がたびたび作品の中で描く架空の世界は、どこかしらオーウェル的なイメージと重なる
ように私は感じます。

さて本題に戻します。このオーウェルの作品『1984年』が、なぜ今、再びベストセラーに
なっているのか。それはまさに米国でトランプ政権が誕生したことで、現実にオーウェル
的な社会が目の前に現れたからでしょう。
例えば、大統領顧問であるケリーアン・コンウェイ氏は、大統領就任式の聴衆の数が、ホ
ワイトハウスからの発表とマスメディアの発表とで大きく食い違うことを指摘され、堂々
と、それは「オルターナティブファクト(もうひとつの事実)」だと言っています。
さらに大統領自身が、自身に不利な情報については、すべてフェイク(偽の情報)だと言
い張っています。まさにポストトゥルース(事実、真実が重視されない)の時代が、米国
で始まっているのです。このような状況はいつまで続くのでしょうか。

しかし実のところ、米国のメディアはこの状況に打ちのめされているどころか、むしろ発
憤して、やる気満々になっているのではないかと私は思っています。
かつてウォーターゲート事件で名を馳せたワシントンポスト紙。この新聞社の記事は、そ
の多くがWashington Post has learned~というセンテンスで始まっていることで有名でした。
「何々省の発表によれば~」とか「何々警察の発表によると~」という記事ではなく、
「ワシントンポスト紙の調べによると」というセンテンスは、すなわち新聞社が独自に取
材して調べた結果わかったこと、という意味を持っています。このようなジャーナリスト
魂がこれほど奮い立たされている状況は、今をおいてないのではないでしょうか。
そしてカレンダーを1984年に戻さないために、今ほどメディアが果たす役割への期待が大
きい時もないと思います。
福力