2017年08月28日
前回の続きです。
事故から32年、今なおこれほど多くの遺族や関係者が、公式の事故原因である「圧力
隔壁の修理ミス」に納得していないということを、本書を読んで、私は初めて知りま
した。
では事件の関係者や遺族が納得できない理由は何なのか。本書に掲載されている多く
の証言から、柱となる重要な証言のいくつかをご紹介します。
・マイケル・アントヌッチ元中尉の証言(本書31ページ)
「123便がレーダーから消えた後、自分たちはまだ二時間は飛べる燃料があったため、
いち早く現場上空に行き、19時15分にはすでに墜落場所を発見してその位置情報を
横田基地に伝えた。私たちは米海兵隊のヘリコプターに墜落地点まで無線で誘導し
た。米海兵隊の救援ヘリが20時50分に地上の様子を偵察するために降下中なのを視
認した。・・・・(中略)・・・・乗員を地上に降下させようとしたその時、日本
側の救難機が来たからという理由で即刻基地に帰還せよという命令があり、しかた
なくヘリは引き揚げた」
(1995年8月27日付 パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス紙)
→墜落現場が特定されたのは、翌朝、墜落から10時間が経過してからだった。このアン
トヌッチ証言は、生存者の1人である落合由美さんの証言とも一致する。また落合さ
んの証言によると、墜落からほどないこの時には、「おかあさーん」「助けて」とい
う声が周辺から聞こえてきていたという。
もしこれが事実なら、助かったであろう命が、むざむざと時間の経過とともに失われ
たという事、また墜落地点を早期に特定しなかったのは、何らかの意図があったので
はないか、というのが著者の青木さんの指摘である。
・中学校三年生Y・K君の証言(本書124ページ~125ページ)
「その日は、やたら飛行機の音がしていた。父ちゃんがおかしく思って外に出てい
って、「おい、Y、飛行機が飛んでいるぞ。来てみろ。」と言ったので行ってみ
た。飛行機は大きいような飛行機と小型のジェット機が2機飛んでいた。五分以上
もたっているのに、さっきから、ぐるぐる回ってばかりいた。」
→群馬県上野村立上野中学校の日航機墜落事故についての文集『かんな川5』の中に
ある中学生の作文による証言。この他にも、多くの小・中学生が日航機を追尾する
2機のジェット機を目撃している。大人もこのジェット機を目撃しているが、なか
でも、偶然、吾妻群東村に帰省していた自衛隊員M・Kは、午後6時40分に突如、実
家の上空を航空自衛隊のファントム2機が低空飛行していったと具体的に機材名を挙
げて証言している。公式の事故報告には全くその存在がないファントムの目的は何だ
ったのか。
次回に続きます。
福力